左官の歴史は古く、なかでも土壁は人々の生活とともに長い時間を歩んできました。風雨を防ぐための土塁や住居を作ったのが始まりといわれ、世界には紀元前から残っているものもあります。また欧米各国の教会建築に見られる高いドーム天井もこの技術によるものです。

日本では縄文時代、最も手に入れやすい土を素材として、団子状にした生の土を積み上げて土塀を作ったのが始まりだとされています。その後飛鳥時代には、石灰を使って壁を白く塗る仕上げや、細く割った木で壁の芯を作る技術などが開発されました。日本書紀によると、7世紀の始めの奈良時代にに朝鮮半島にあった百済という国から本格的な技術が伝わったとされており、法隆寺の土壁は百済の職人の主導で築かれたといわれています。

奈良時代から室町時代には、材料や施工を管理するための役所が設置されました。ここに所属する土工と呼ばれる人々が壁の中塗りまでを受け持ち、絵師が上塗りをして仕上げたそうです。桃山時代から江戸時代には、姫路城に代表されるように、見た目に美しく耐火性にも優れた漆喰仕上げの城郭ができ、多くの職人が活躍しました。左官の仕事は、石灰や色土など様々な自然素材の発見や、それらを生かすために工夫を重ねて作り上げられた技術に支えられ、伝統ある日本建築の技能として今日まで発展を続けてきたのです。

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